家事分担、二人合わせると12になってしまう件~2023.5.28 家庭料理のIDOBATA会議レポート

2023-06-08 有賀 薫

家庭でやる料理や家事について女性だけでなく男性の声も聞きたいと、「家庭料理のIDOBATA会議」の男性限定編、2回めを開催しました。

夫婦参加や子連れはOKなので、こんな雰囲気です

IDOBATA会議の目的とレポートのちょっとした差

このIDOBATA会議は何かの結論を導き出すものではなく、さまざまな事例を「聴く」ということを主眼としています。その場で誰かが話す家の話は、個々の温度感やニュアンスがあり、その人や家族の背景もどことなく感じさせるものです。一般的な話に整理されたり、派手な部分を誇張した情報ではない、その人の生の話を聞き、共感することが気づきにつながり、閉じて空気のこもりがちな家庭に風を通すのではないかと思っています。

とはいえ、人の話の中には新鮮な家事の考え方やよりよい方法がたくさんちりばめられています。今の話と矛盾するようですが、そのエッセンスを拾い上げ、お伝えするのもまた私の仕事。今回のレポートでは、聞いた話の中から私が主観で面白いと思ったトピックスについていくつか取り上げて感じたことをコメントするというスタイルをとってみました。

引用の部分も読みやすいように喋っていただいた言葉を多少書きかえて入れてありますのでご了解ください。(※匿名ではありますが、発言者の方はもしご自身の発言と意図が全く違うというときはご連絡ください)

それではどうぞ。

夫も6:4,妻も6:4で自分のほうがたくさん家事をやっていると思っていた

まず、話し合いたい問いをその場で出してもらったところ、興味深い問いがたくさん出てきました。

*家事は完全外注できるのか
*親世代の家事の価値感をどれぐらい影響を受けている?(男性が家事をすることについてどう思うかとか)
*夫婦の調整コストが0になったら、家事はどう見えるのか
…など。

その中で、家事シェアに関して非常に具体的でかつ共感が多かったこのテーマをスタートに、みんなで話をすることにしました。問いかけたのは、夫婦で参加された方からです。

夫婦で家事分担をしている。自分は6:4ぐらいでこちらが多くやっていると思っていたら、実は妻も自分が6:4でやっていると思っていることがわかった。合わせると12になってしまう…これはどう考えたらいいのだろうか。

お互いが、自分のほうがたくさんやっていると思っている。どこまでが家事にカウントされるのか、夫婦の意識のズレ、家事の質など、多方向に話がどんどん広がる問題提起です。ちなみにイベント後、妻側に話を聞いてみたところ…

実は夫が料理系、自分が片付け系という分担の認識自体、はっきり自覚していなかったです。言われてはじめてそうだったのかと思いました。

認識のズレが二重三重になっていることも多いのかもしれません。

家事の「これでいいライン」はわかりにくい

最初にこのテーマを出した方はこんな風に考えていました。

分母として数えている家事がお互い違うのではないか。たとえば自分が料理をやっている間に、相手は子どもが散らかしたおもちゃを棚にしまっているかもしれない。でもそれは自分には見えていないから、相手のやった家事にカウントされていない

ふたつの円をずらして重ね合わせたようなもので、自分は自分の円しか見えていないということですよね。

料理などに比べ、おもちゃを箱に戻すとか、トイレットペーパーや洗剤を補充しておくというような原状回復する仕事は見えにくい。そこにお互いがやっている仕事量に対する認識のズレが出やすいというのは、家事の大きな特徴です。

また、範囲だけでなく仕事の深さの問題について、すごく面白い具体例を話してくれた人がいました。

毎日お風呂掃除をするんだけれど、妻が非常に風呂掃除に厳しい。結構きちんとやったつもりでいたのに彼女が風呂のついでに浴室を磨いている音を聞いて完全OKを追求したくなった。
床から壁から風呂桶の裏側までまるでホテルの清掃人のように掃除するようになり、やがて妻が磨く音が聞こえなくなって、ようやくミッションが果たせた。でも、そこまでやると愛情(つまり家事レベル)はすでに超えている…結局、相手の要求レベルがどこにあるのかはわからなかった。

家事の重さは単に「やったか・やらないか」だけでは、はかり切れないものがあります。相手がこれでいいと思っているラインがどこにあるかわからない。だから頑張っているつもりでもやっていない判定されてしまうことはよくあります。
大抵の場合は「なんでわかってくれないの!」という怒りや哀しみにつながるわけですが、この方はどこからがやったことになるラインなのか?ということを探しはじめたわけです。

そして、そのラインは決めている側にもわかっていないケースがある。この話は私にとって大きな気づきでした。自分の家でのごはんのゼロベースがどこなのか、料理を仕事にしている私ですら今だにあいまいなのです。相手がわかるわけはありません。

家事の動機に男女差はあるのか

こちらは妻の仕事が忙しくなって、自分(夫)が家事をメインで受け持っているという人の話。

自分が頭を働かせるよりパートナーが頭を働かせたほうがうまくいく。誰でもできること(家事)は全部自分がやって、相手を暇にすればするほど事業体としてはうまくいくというメンタルになっている。ただ、会社だと思わなかったら家事はやらないと思う。事業としての一環としてやっているから家事をカッコいいと思っている。一人のときも料理チャンスはあったはずだけど全然興味が出なかった。でも今はパートナーにおいしいと思ってもらえるのがシンプルに気持ちいい。そのおかげでドライブされている。

この方に、パートナーも家庭を一つの事業体として考えているのですか?と質問してみたところ、彼女はそういうことを全く考えていない。考えなくてもできるというところがすごい、と言っていました。

もちろん傾向的な話としてですが、男性の方が課題解決型であるなと常々思います。他の方からも、男性は家事をやることについて理由をつけないとできない人が多い印象がある、という声が出ていました。

ジェンダーの考え方はここ数年で急激に進んだものの、まだまだ意識統一されているとはいえません(もう少し時間がかかりそうです)。育った背景や親の影響によっては、男性が家事をやるには何か理由が必要と感じるケースも多いでしょう。そこに生まれるズレはそう簡単には解決できるものではありません。現時点で男性がどう感じているかということは、家事を考えるならもっとヒアリングする必要があります。
少なくとも、女性だけで家事の話をしたときに家庭が事業体である、みたいな話になっていくことはないし、仮にあったとしても興味を示す人が少ないのではないかと思いました。ほかにも

仕事では、仕様を決める人が複数いることはありえないのに、家事だと二人の価値感を都度都度すり合わせ、目標地点を変えながらやっていくということが、割と普通に起こっている。

こんな発言をされた方もいて、女性同士で話をしているときに聞いたことがなくて新鮮でした。

いやいや、ちゃんと多様になってきているよと思った話

一方で、やはり意識の変化が起きていると感じたのがこちら。共働きで、自分が8割から9割家事を受け持っているという方です。家事のやり方をどちらに合わせるかという流れでの発言です。

家事は自分が9割やっているのだけれど、家事の方法は全面的に妻のやり方に合わせている。
(一人暮らしも長く、自分なりの家事のやり方はあった)結婚後は洗濯物のたたみ方や皿の洗い方など、すべて妻の希望どおりにしている。自分としてはもともと家事のやりかたにこだわりがないし、頭を使わずに手や体を動かす感覚が楽しいし、スッキリする。家事に対してストレスがない。

これ、案外すごい話だなと思うのです。私だったら家事を9割受け持っている人が家事のやり方には権限があると考えるし、さらに古い考え方をする人なら、婚家のやり方に合わせるとか、夫の希望に妻が合わせるみたいなこともあり得る。この家庭は男女の役割なんて軽く超えているだけでなく、家事をたくさんやっているほうが偉いというような意識すらない。非常にフラットな関係が見えています。

この方の場合、仕事と家事の組み合わせの配分がうまくいっているようです。家事が仕事のいい息抜きになっていると話されていました。お子さんがいないということで家事の量も適切なのかもしれません。

うまくいっているケースって環境は真似できないことも多い。だから意識の部分や、心がけていることを真似するのがいいなと思っています。
聞いてみたところ、
・ふたりの暮らしに対する価値感が近いこと
・パートナーが非常にほめ上手
このあたりがポイントのようでした。

***

皆さんにはこの何倍も話してもらったのですが、長くなってしまうのでそろそろこのあたりにしておきます。今回伺った話で、別noteにしたいものもいくつかあって、それはここでは紹介しませんでした。

最初に言った通り、結論やまとめはありません。さらっとコメントするには難しい根源的な意見もいくつかあって、非常に豊かな雑談でした。

こういう対話イベントも少しずつにはなりますが、続けてやっていきたいです。すべての人に欠かせない家事のこと、家族のこと、家庭のこと、ぜひおしゃべりしませんか。

『家庭料理のIDOBATA会議』
2023.5.28(日)15:30~ 千駄木 まちの教室KLASS

主催くださった食の学び舎・フードスコーレの活動はこちら!

food skole フードスコーレ│食から、生きるを考える 食べるとは、生きること。生きるとは、食べること。食は、命をつなぐことはもちろん、暮らし方、自然環境、経済活動など、人の生き foodskole.com
平井 巧|食べると学ぶをデザインする人|note 10年先に繋がる「食べる」と「学ぶ」のデザイン| 食卓に愉快な風を。|フードロスの再定義|honshoku Inc.|東京 note.com

そうそう、今回ご参加いただいたゲストで、男性向けのエプロンを作って販売している方がいました。私もつけてみましたが非常に軽くてつけ心地がよかったです。気になる方はサイトのぞいてみてくださいねー。

ORGANIC COTTON & UNISEX DESIGN 割ッ烹レ エプロン(KAPPORE APRON) 性別を問わず日々の台所仕事で気軽に着れるエプロンブランド、割ッ烹レ(KAPPORE APRON)です。北米、アジア、アフリ kappore.club



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