「ありがとう」を言うことの難しさ
2024-01-26 福原たまねぎ
アメリカに"Thanksgiving Day" (サンクスギビング・デー)という祝日がある。いわゆる感謝祭というもので、毎年11月の第四木曜日がこの祝日にあてられる。家族や親戚が集まってこんがり焼いた七面鳥を食べながらワイワイとおしゃべりする。元々はネイティブアメリカンに感謝するために始まったものみたいだけど、もっと広がって大事な家族や友人に感謝の気持ちを伝える習わしとなっている。
アメリカ人にとってすごく大事なイベントなのだ。それはどこまでも暖かくハッピーなものだから。
ぼくが働いているAmazonのセール機能の開発チームでは週次でPM (プロダクトマネージャー)が集まるミーティングをやっている。このミーティングでは場を和ませるために冒頭5-10分を使って仕事とは関係のないテーマについてみんなで話すことになっている。その内容は多岐に渡り「人生で一番恥ずかしかったことってなに?」とか「最近ハマってるドラマある?」とか「学生時代の印象的な思い出は?」とか。皆それぞれバックグラウンドがいい意味でぐちゃぐちゃなこともあり、破天荒なエピソードが出てきてはゲラゲラと笑い合う。テーマは毎回担当のPMが考えて持ってくるルールになっている。
去年の11月の話。その週の担当はボーバー (浅黒い肌のウズベキスタン人)だった。
ボーバーがそう告げるとミーティングルームにいたPM陣は「うーん、そうね」という具合で考え始めた。なるほど納得なテーマだ。さてなにを話そうか。
口火を切ったのはスティーブだ。生粋のシアトルっ子で、ショートカットでナイスガイな彼はいつもくだらないジョークばっかり言っている。「どうせ、またどうでもいい一コマを取り上げて笑いを取りに来るのだろう」と誰もが思った。
その日スティーブは家族の事情でオンラインでの参加だった。ミーティングルームに設置されたモニターに彼の姿が映る。そこにはおしゃぶりをした生まれたばかりの赤ちゃんを抱えるスティーブがいた。
そう言い終える頃にはスティーブのマネージャーのパティが号泣している。そのストレートなパンチはその場にいた全員を打ちのめした。このスティーブの言葉によって一瞬にしてそのミーティングは感傷的なモードになった。パティがコメントをしようとしたところで、すかさず長身でクールな白人のジェイソンが被せる。
それから立て続けに皆思い思いの感謝を述べた。チームに入ったばかりのメンバーは新人に対しての手厚いサポートを労い、また最近大きいプロジェクトをやり遂げたメンバーは周りのPMのアシストについて謝意を述べた。
そして最後はぼくのマネージャーのモニカだった。中国系アメリカ人の彼女はぼくをアメリカのチームへと誘ってくれた恩人だ。彼女はその翌週にAmazonを卒業することになっていたこともあってとてもエモーショナルになっていた。彼女はビデオでの参加だったが、画面に映った彼女の顔は涙に濡れていた。
部屋中にはしくしくと涙をすすりあげる音が鳴り響いた。とても深い感動と感傷を共有しているという自覚が全員にあった。
ぼくもその場にいて同じように感傷的な気分に浸った。と同時に「ありがとうを言うことはこんなにも難しいんだな」とつくづく思った。
いつもはあっけらかんとしているアメリカ人。なんでもフランクに喋りそうに見える。そんなイメージがあった。
でも実際にはぜんぜんそんなことなかったりする。やっぱり日頃から溜め込んでいる感情というのはあるし、それを口にする機会もあるようでない。とりわけ「ありがとう」という言葉はタスクベースで言うことはあっても、もっと深いことについて感謝を伝えることはないものだ。
だからこそThanksgivingがあるんだなと思った。こういう機会があるからこそ、日頃の生活を思い起こして、ちゃんと人に面と向かって「ありがとう」と言う。まだまだアメリカで外国人として暮らすぼくにとっては凄く新鮮で大きな感動を覚えた。
山の日も海の日もいいけど、「ありがとうの日」みたいなのが日本にあってもいいのかなとふと思った。もちろん敬老感謝の日とか既にあるわけだけど、もっとジェネラルに感謝を言い合う日があってもいいのかなって。そんな日は日本中がエモーショナルな感慨に浸るなんてこともあるのかなって。
今日はそんなところですね。夕暮れの海とカモメを眺めながら。
それではどうも。お疲れたまねぎでした!