ゴールテープを切る瞬間

2024-08-13 tsuki | つき


絶対に幸せになってほしい、と心から願っていた人が自分で選んだことなんて、祝福しないといけないに決まっている。分かっている。分かっていても、ためらってしまって、「チケット抽選申し込み」のボタンを押すことができなかった。


アイドルは長距離選手のように走り続ける


わたしには女性アイドルの推しがいた。わたしは彼女のことがとても好きで、何年間も応援していた。わたしの世界を明るく照らしてくれる、太陽のような存在だった。

そんな彼女が、自分でアイドルとしてのゴールを決めてしまった。

女性アイドルグループを応援するのは、陸上競技場のトラックで何周も走り続ける、長距離走の選手たちをスタンドから応援することに似ているような気がする。

毎年新しい楽曲はリリースされるけれど、基本的にはシングル発売の時期は決まっていて、それに向けたテレビ出演、コンサートの時期もなんとなく決まっている。年間、だいたい決まっているサイクルで走り続けるアイドルたち。たまに急に離脱してしまう人もいるけれど、基本的にはそのサイクルのなかで走り続ける。「卒業」というゴールの瞬間まで、何年も何年も。そして、それを観客席から見守り、応援し続ける。

わたしの推しであった彼女に用意されたゴールテープは、とても華やかで、素晴らしいものだった。それは、何年間も常に前のめりで、笑顔で走り続けた彼女にふさわしいものだった。


あれが最後だった、と認められない


彼女自身が決めたゴール。そのゴールテープを切る瞬間なんて、その場で見たいに決まっている。それなのにわたしは、どうしても「チケット抽選申し込み」のボタンを押すことができずにいた。

彼女に、走り続けてほしかったのだ。あたりまえに、次の周にも彼女がいて、先頭で走ってきてくれると信じていた。

だって、あれが最後の夏だったなんて思わなかったし、あの花火をバックに踊ることがもうないなんて、そんなの知らなかった。あれが最後なんて、そんなの知らなかったし、そんな日が来るなんて、思いたくなかった。


ゴールテープを切る瞬間


それからわたしは、これまで彼女が走ってきた姿を見つめなおしてみた。笑顔も、涙も、怒った顔もあった。そのなかで、彼女がわたしを笑顔にしてくれた瞬間とか、感動のあまり胸がきゅっとなる瞬間とか、彼女の前向きな言葉とか、自分に与えてくれたものを、たくさん、たくさん思い出した。

彼女が自分で決めたゴールテープを切る瞬間を、観客席から見守りたい、と思った。ゴールテープを笑顔で切った彼女に拍手を送りたい、と思った。わたしは、「チケット抽選申し込み」ボタンを押した。


ゴールテープを切った、その先で


彼女がアイドルではなくなって、3ヶ月がたった。あの日、華やかなゴールテープを切った彼女は、寂しそうに泣いて、幸せそうに笑っていた。たくさんの人に見守られながら、彼女は競技場を飛び出して、軽やかに街に走り出していった。

わたしはまだ競技場の観客席にいる。彼女のいない、けれどたしかに彼女がそこにいたのだと感じられるそのグループが走るのを、ただ見守っている。

あの日、ゴールテープを切る彼女の姿を、あの場所で見守ることができてよかった。彼女はもういない、けれどここにいたのだ、と気持ちの整理ができている。あの涙を、笑顔を、ぜんぶずっと覚えていたい。あの日あの場所で見送れたからこそ、街を自由に走り回る彼女の幸せを願いながら、ここから応援していよう、と思える。


ここから見守っていたい


彼女は元気に走っている。行きたいところに自由に走っていける。けれど、どこにいけばいいのかふと分からなくなったり、笑顔が消えてしまいそうなときは、すこし立ち止まって振り返ってくれるといいな、と思う。

素敵なゴールテープを切ったあの日のことを覚えている人たちがたくさんいて、いつだってあなたを応援しているよ、と伝えてあげたい。そのたくさんの人たちのひとりに、わたしもいるのだ。あの日、あの場所で見送ることを選べたから。あのときも、いまも、この先も。自由に走る彼女を、ここから見守っていたい。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。
      SiteMap   サイト概要