お店を始めるきっかけとなった大切な事業を譲渡しました

2024-09-04 伝所鳩

求人サイトから生まれたお店

僕らは、2019年に夫婦で東京都墨田区から兵庫県豊岡市日高町に移住し、2020年11月より全国各地の暮らしの道具を扱う「伝所鳩」というお店を始めました。もうすぐで丸4年になります。

お店をやっていると、お客さまや近所の方からなぜお店を始めたのかを聞かれることがよくあります。

話せば長くなるので、いつも端折って簡単に説明してしまうのですが、今日は順を追ってご紹介させてください。

伝所鳩は祖父が暮らしていた古民家をリノベーションしています

伝所鳩というお店は、「すみだの仕事」という求人サイトがきっかけで生まれました。

そして、この「すみだの仕事」は、僕らが豊岡市に移住したことで運営を継続するのが難しくなり、2024年7月に事業譲渡しました。

とても大切に運営してきたサイトなので、自分の手を離れるなんて考えられずとても悩みました。でも、引き継ぎたいと言ってサイトを必要としてくれる人が現れたことも、そして続けていくことも大切にするべきことだと思い、12年目を迎えるタイミングで次の方に託すことにしました。

この「すみだの仕事」という求人サイトですが、構想段階では今お店をやっている豊岡市で始める予定でした。予定というか豊岡でやりたかったことでした。

でも、なぜか始めたのは東京にある墨田区でした。そして、僕は会社員として働く傍ら、12年間このサイトを運営をしてきました。

どうして豊岡市で求人サイトをやろうと思っていたのか。
どうして豊岡市で求人サイトをやらなかったのか。
どうして墨田区で求人サイトを始めたのか。
どうして豊岡市では求人ではなくお店だったのか。

とても長くはなりますが、どうしてに答える形で、僕が活動を始めた当時のことから、お店を始めるまで。そして事業を売却するまでのことをお話します。

2万字の文章で綴る求人サイト

伝所鳩を始めるよりもずっと前、2013年に東京都墨田区というエリアに限定した「求人サイト」を立ち上げました。サイトの名前は、「すみだの仕事」。

僕一人で立ち上げたサイトでしたが、5年後の2018年にフォトグラファーの妻と出会い、撮影を依頼するようになり、それから2019年まで2人で運営をしてきました。ちなみに、最初の5年間は、サイト制作から取材、撮影、編集、発信まで全て一人でやっていました。

墨田区は、豊岡市の人口が約9万人に対し、人口約28万人。面積は50分の1ほどの小さなエリアの中に、およそ3倍の人が暮らす人口が非常に密集した町ですが、それでも人手不足は深刻な状況です。

仕事を探す上で、多くの方がまず気になるのは、給料などの条件面でしょう。でも、中小企業や個人店では、大手企業のような優遇は難しく、条件面だけで比べられるとなかなか人手は集まりにくい状況があります。

墨田区内最後になったハンドメイドガラス工場

さらに、墨田区は昔からものづくりの町で、そこかしこに町工場や工房がひしめきあっています。体力のいる製造業は、暑い寒い危険といった厳しい環境下で働くこともあり、条件面で探す方にはなおさら選ばれにくい仕事かもしれません。でも、条件だけでなくやりがいを求める方、手に職を付けたいという方は必ずいます。

だから、働き手が集まらない、応募がないというのは、企業やお店側の発信が足りず、仕事の魅力が求職者に届いていないだけ。そして、しっかりと仕事のことを伝えてられていないから採用された後も離職などのミスマッチが起こってしまう。

大変なこともあるということが事前に分かっていれば覚悟を持って応募してくれるので離職には繋がりにくいし、しっかりと手に職が身に付くことが応募前に分かれば、技術を吸収しようと意気込みのある方が応募してくれ、多少のことで挫ける方もすくないかもしれない。

昔は黙って待っていても人が集まりましたが、今はもうそういう時代ではありません。小さな企業やお店でも、自分たちの魅力を包み隠さずしっかりと発信する必要があり、それができていればきっと働きたい方はいるはずです。

首都高の補修工事を担う日本橋梁さんの取材

そんな風に考えて、企業を徹底的に取材し、やりがいだけでなく大変なことも包み隠さず、約2万字の文章と写真で僕らが紹介することで、雇用条件に左右されない仕事の本質と魅力を伝えるミスマッチの少ない「求人サイト」を作りました。

これが「すみだの仕事」です。

取材に伺うと、「こんな大変な仕事は誰もやりたがらない」と自分の仕事のことを話す社長さんも少なくありません。でも、このサイトを通じて採用が決まったケースもたくさんあり、結果的に多くの企業と求職者を繋げることに成功し、今でもたくさんの方がサイトを通じて墨田区内で働いてくれています。

また、地域に特化した求人サイトはその当時他になく、さまざまな地域から同じようなサイトを立ち上げたいという相談をいただくまでになり、実際別の地域でも求人サイトが立ち上がったりもしました。

それでは、僕はなぜこの求人サイトを始めたのでしょう。

仕事にやりがいを感じられなかった

社会人になってからの僕は、やりたい仕事が見つからず、転職を繰り返していました。そして2013年、3度目の転職をして、4社目に入ったのは東京にある家電メーカーでした。従業員は2,000人を超えるいわゆる大企業でしたが、やりたいことがあったわけではなく、とにかく安定した会社に入りたいという考えだけで選んだように思います。

それに対して、前の会社(3社目の会社)は、100人ほどの中小企業で、いわゆるベンチャー企業。ギラギラやる気に満ちた人たちばかりで、毎日夜遅くまでビシバシと鍛えてもらい、その勢いのままやる気満々で入ったのが4社目。採用されたのもそんなやる気を買ってもらえたのかなと思っていました。

しかし、実際に入ってみると、これまでとは真逆でとてものんびりとしていて、拍子抜けしたのが正直なところ。ノルマもなければ、残業もほとんどない。入社3日目に上司から言われた言葉は「そんなに頑張らなくていいよ」でした。

ブラック企業とは真逆の超ホワイト企業でしたが、そこにやりがいはありませんでした。

忘れかけていた地元を思い出して
やりたいことに火がついた

弁当と傘はこれまでVol1~5まで発売されています

すっかりやる気を無くしてしまい、淡々と業務をこなしていくだけの毎日。

そんな退屈な日々の中で、たまたま出会ったのが、地元である豊岡市を含めた但馬地域のことをまとめたリトルプレス「弁当と傘」でした。

地元の女性4人が作ったこの本は、当たり前すぎて見落としている地元のことを丁寧に紹介していて、すっかり忘れていた地元のことを改めて考えるきっかけになりました。

そして、この取り組みによって、僕も「地元のために、地域のために何かしたい」という気持ちが芽生えてきます。

何ができるだろうかと考えた中で、これまでやりたい仕事が自分は見つけられなかったので、地元にあったらいいなと思ったのが、地元の求人サイトでした。

地元の閑散とした駅前

当時、インターネットに地元の情報はほとんど載っていませんでした。都会のように話題がたくさんあるわけでもなく、見慣れた田舎の景色や、代わり映えしない町並み。そんな当たり前のことは当然誰も発信はしません。

地元では、今何が盛り上がっているのか、どんな人が今は住んでいて、どんな会社があるのか。外で暮らしていると全く地元のことが分かりませんでしたが、「弁当と傘」には、これまで見過ごされてきた地元の情報が満載。

知らなかった地元のことを知れ、そして閉ざされていた記憶が少し開いたような気がして、地元の求人もこんな風に紹介することができれば、地元で働きたい人はいるんじゃないだろうか。

土日はやっていない市役所とハローワーク。都会から地元の求人を探すのは恐ろしくハードルが高い。

豊岡市街地の町並み

都会に住んでいると大手求人サイトで仕事を探すのが当たり前で、平日でも夜中でも外出中でも、どこからでも仕事を探すことができます。しかし、そういった求人サイトには地方の求人はほとんど載っていません。(少なくとも豊岡市の求人は、当時全くと言っていいほどありませんでした)

となれば、地元の仕事を探す方法は、ハローワークくらい。知り合いからの紹介というのもありますが、それはごく一部。あとは、地元のフリーペーパーに少し載っていることもありますが、いつも同じような企業が名を連ねるばかり。地元の求人ってここしかないの?と、愕然としてしまったものです。

また、市役所のUターン窓口は平日しかやっていないし、ハローワークも同様。当然GWや年末年始ももちろんやっていません。都会にいる人たちが連休で帰ってきたタイミングで窓口がやっていないのでは、求職相談をしたくてもできない。会社も休みのところが多いから、会社見学もできない。

インターネットに求人がなく、相談窓口も行けるときにやっていないとなると、今働いている会社を休んで平日に帰省して求職活動をするか、会社を辞めて戻ってきてから求職活動をするしかなく、都会から地方への転職活動は想像以上にハードルが高い。

もっとフレキシブルに仕事を相談できたらいいのにって思いますが、地元の行政も企業も、そんなのは知ったこっちゃないと言わんばかりに、12年前からこの体制は変わってないように思います。本当に帰ってきてほしいと思うなら、帰省してくる人たちのスケジュールに合わせるべきなのに、それをしていないというのは本気でそういう人のことを考えていないのでしょう。

それならば、どこからでも地元の求人にアクセスができる「豊岡限定の求人サイト」があれば、都会へ出た出身者も地元の人にも需要がありそうだし、都会にはない田舎ならではのバラエティに富んだ仕事もあるんじゃないか。名前が知られていない企業でも、掘り下げればきっとおもしろいことをやっているはずだし、若い人材を求めている企業も多いはず。

こうして、豊岡に限定した「求人サイト」を始めるために動き始めました。

僕の活動は豊岡では必要とされなかった

豊岡で求人サイトを始めようと思って、サイトを作る前に地元の企業に掲載してもらえないかと聞いてみることにしました。

多くのカバン屋さんが並ぶカバンストリート

そこで真っ先に思い浮かんだのが、豊岡の地場産業であるカバン。

幸い豊岡のカバンメーカーは、東京にも営業所があったり、展示会をよくやっていて、帰省しなくても会う機会がありそうなので、展示会に行って話をしてみることにしました。

ちょうど以前から社長さんの本を読んで、新しいことに積極的に取り組んでいることを知った、とても気になっているカバンメーカーさんが展示会に出ていたので、直接会いに行き、こうお願いをしてみました。

「都会に住む人は、地元の仕事を都会に住みながら探す術がありません。そういう人のために地元の求人サイトを作りたいんです。求人を出す予定があれば掲載をしてもらえませんか?」

これに対してカバンメーカーの社長さんからは、

「バカバカしい。そんなことまでしないと帰ってこれない若い人は帰ってこなくていい。ハローワークがあれば十分だよ」

と厳しい言葉が返ってきました。

とても衝撃でした。本に書かれていた新しいことに挑戦する前向きな社長の姿はなく、田舎の企業らしい凝り固まった考えに愕然としたとともに、この町で働いている人たちがこんな考えでは、やはり若い人は帰って来るわけがない。少なくとも僕はこの会社では働きたくないと思ったし、もし本を読んでこの会社に入りたいと思って入っていたら、きっとミスマッチして辞めることになっていた気がします。

でも、僕はこういう人こそ納得させたいと思う性分で、メラメラと火がついたのも正直なところ。

やはり形になったものが無ければ話も聞いてもらえない。
そして、信頼してもらうには、実績だって必要。

そこで、その当時住んでいた東京都墨田区で、試しに「求人サイト」を作ってみることにしました。カバンメーカーの社長に言われた言葉を怒りに変え、睡眠時間を削って猛烈な勢いでサイトを作り、出来上がったのは展示会から戻ってわずか3日後でした。

「すみだの仕事」のスタートです。

全てが手探りで始めた求人サイト

サイトはできた。

でも、取材なんて一度もしたことがない。求人のこともよく分かっていない。文章を書いたことも、写真を撮ったこともない。掲載してもらえる企業やお店はどうやって探したらいいかも分からない。

ウェブデザイナーだった僕にできたのは、サイトを作ることだけでした。

でも、とにかくやってみようと何も分からないまま、最初に取材をしたのが、錦糸町にある「すみだ珈琲」というカフェでした。

錦糸町とは思えない落ち着いた店内

すみだの珈琲の廣田さんは、伝所鳩でお取り扱いしているガラスメーカー「廣田硝子」さんの息子さん。廣田硝子の江戸切子を使い、丁寧に珈琲を出してくれる超人気店です。

12年前に息子さんを取材し、今はご実家の商品を伝所鳩で扱っているというのもなんだか不思議な巡り合わせです。

すみだ珈琲さんの取材は、知り合いからアルバイトの募集をしているという話を聞き、すぐさまアポイントなしで伺って、「墨田区限定の求人サイトを作りたいので掲載してもらえませんか?」とお願いしました。

すると、初めて会った僕の提案を廣田さんは二つ返事で快諾。実績はこのときもなかったけど、どういうものを考えているのかすぐに理解してくれ、そういう求人ならばと協力をしてくれた。

その当時のことをインタビューした記事があるので、ご覧ください。

このときの取材が実現していなければ、求人サイトどころか、伝所鳩も始めてなかったかもしれません。でも、今思えばこんな有名店によく飛び込みで取材依頼をしたなぁと、自分でも驚きです。

こうして初めて出た求人は、知名度ゼロのサイトながらも奇跡的に応募があり、そして採用が決まりました。しかも、10年以上が経った今も、お店にはそのときに採用されたスタッフさんの姿があります。

これをきっかけに「すみだの仕事」は、SNSを中心に口コミで一気に広がり、応募者の数もさることながら、掲載希望の問い合わせもどんどん増え、勝手に始めた取り組みが勝手に広がっていきました。

たくさんの方に取材をしていく中で分かったことですが、墨田区の人は新しい挑戦を拒む人はほとんどいません。実績もなければ名前すら知らなくてもやっていることに価値を感じたり、意味があれば応援してくれる懐の広さを持った人が多い。

カバンメーカーの社長のように、人の挑戦を批判したりやってもいないのに否定する人は少なく、見ず知らずの僕の挑戦も、たくさんの方に応援をいただけたことが、このサイトが成功した一つの要因でした。

ものづくりの世界に出会う

すみだの仕事は、スタート当初はカフェや居酒屋などの飲食店のアルバイトの募集依頼が多かったのですが、墨田区は東京を代表するものづくりの町で、徐々にものづくり企業からの取材依頼が増えていきます。

初めて行った町工場、笠原スプリング

IT企業を中心に働いていた僕にとって、ものづくりの現場は全く知らない世界でしたが、求人を通じてたくさんの企業を取材したことで、どっぷりとものづくりの世界にはまっていくことになります。

こんな取材をしたこともありました

これまでに取材した企業は100社以上になりました。その中で印象的な取材はたくさんあります。

小さな町工場だった浜野製作所は工場を新設し社内にラウンジまで

小さな町工場が取材した後に急成長していき、誰もが知る大きな会社に急成長したこともあります。

朝の仕込みを撮影するため、まだ暗い早朝に伺った工場もありますし、逆に真夜中しか撮影できない取材は、深夜までかかったこともあります。

熱したガラスに水をかけるとまるでマグマのよう

1,300度の熱を放ち顔が真っ赤になった現場も、車が猛烈なスピードで行き交う高速道路の上など、危険と隣り合わせの現場も数多くありました。

歴史ある工場が取材の後に廃業してしまったり、取材をさせていただいた先代の社長さんが亡くなられてしまって、それらが最後の取材になったこともありました。

工場建て直しに立ち会わせていただいて、最後の記録撮影をしたこともありました。

そんな取材を続けているうちに、すみだの仕事の認知度はぐんぐんと上がっていき、いつの間にか扱う求人は、8割以上がものづくりの企業になりました。

求人を通じでではなく、ものを通じて伝える

さまざまな企業に伺っていると、共通するあることに気が付きました。それは、どこも人材不足に悩んでいる一方で、事業の面で下請け企業を脱却するため、自社の技術を使ってオリジナル商品の開発をしていたこと。行政もそれを後押ししていたこともあり、墨田区では特にオリジナルプロダクトを作る企業が増えていた時期でもありました。

しかし、良いものができても当然ながら作り手は販路を持っていません。現場の仕事があるので新たに販路開拓もできません。とても良いものなのに工場の隅で埋もれてしまっている。これはもったいないし、どうにかできないかなと取材に行くたびに思っていました。

うなぎの寝床 旧丸林家

そんなときに、ものを通じて作り手のことを伝える会社と出会います。福岡県八女市にある「うなぎの寝床」です。彼らは、福岡県の重要無形文化財に指定されている久留米絣と呼ばれる生地を、農作業着であるもんぺを通じて伝える活動をしていました。

今では50名ほどの会社に成長していますが、出会った頃はまだ会社が立ち上がったばかりの頃で、少しずつ彼らの活動により久留米絣が知られていく様子を見ていると、僕らもつくり手の代わりになってものを売ってみたいと思うようになりました。

これが、伝所鳩を始めたきっかけでした。
そして、僕らが初めてものを売ったのも、うなぎの寝床のもんぺでした。

東炊きのサマーコーデュロイ

墨田区には、「川合染工場」さんという染工場しか作れない「東炊き(あずまだき)」と呼ばれる生地があります。

独特な風合いを持つこの生地を、もっと多くの人に知ってもらいたいと思い、うなぎの寝床とコラボレーションし、東炊きを使ったもんぺを作り、ものを通じてつくり手のことを伝える販売会を開催しました。

このプロジェクトは、伝所鳩ができるよりも前のことで、これが僕らにとって小売初体験。お店の最初の第一歩でした。

一回きりのイベントで、この頃はお店をやるなんて考えもしなかったのですが、その後、墨田区から豊岡市へ移住したことをきっかけに、本格的に伝所鳩をスタートし、今に至ります。

事業(サイト)譲渡へ

それでは、伝所鳩を始めるきっかけとなった「すみだの仕事」は、その後どうなったのでしょう。

2014年からスタートし、今年で12年目を迎えました。

最初は一人で始めたサイトも、妻がフォトグラファーとして手伝ってくれるようになり、豊岡に移住した後は、現地のライターさんやカメラマンさんに代わりに取材をしてもらい、編集作業のみこちらで行う形で、多くの方の協力を得て運営を続けてきました。

鋳物工場に就職してくれた若い男性

おかげで、たくさんの方が「すみだの仕事」を通じて、今も墨田区内で働いています。自分自身何度も転職を繰り返し、なかなかやりがいある仕事に出会うことができなかったのに、人の仕事を探すお手伝いをしているなんて、とても不思議なことです。

「すみだの仕事」の求人記事は、丁寧に取材をして、2万字もの長い記事を書くため、非常に手間と時間がかかります。長い取材では8時間ほどかかったものもあります。文字起こしはそれの倍の時間がかかり、編集にはもっとかかります。

これと同じことをライターさんやカメラマンさんにお願いするのは現実的ではないし、僕らも徐々に墨田区に通う頻度が減り、今までのような時間をかけた記事を書くことが難しくなってきました。

このままサイトを終えることも考えたのですが、ありがたいことに再開を望む声をいただいたり、今でも掲載の問い合わせを定期的にいただいたりして、どうにか再開できないかと模索していたところ、「すみだの仕事の火を消したくない」と言ってくださる方が見つかりました。

たった一人で始めた、「すみだの仕事」。実績づくりのために始めたこの求人サイトは、いつの間にか僕一人のものではなく、みんなから必要とされるものになってきたのかもしれません。

運営するのは、もう僕である必要はないのかもしれないし、続けることに意味がある。そう思ってこの事業を託すことにしました。

すみだの仕事から多くの方が入社してくれたインクデザインさん

今後運営をしてくれるのは、インクデザイン株式会社さん。

6度も求人を出してくださった会社で、ずっとこのサイトを必要としてくれ、応援してくれた会社なので、安心してお任せしようと思います。

スタッフさんもサイトを通じて採用された方が多くいるので、誰よりもサイトのことを理解してくださっている会社です。きっともっともっといいものになっていくはずです。

これから僕らが豊岡でやるべきこと

ここまで読んでくださった方は、お分かりいただけたかと思いますが、「すみだの仕事」という求人サイトをはじめたのは、豊岡で求人サイトをはじめるための実績づくりが目的でした。

細い路地が多い墨田区は人と人の距離感も近い

だから、最初は墨田区にそこまでの思い入れはありませんでした。しかし、取材を続けていくうちに、ものづくりの町、墨田の魅力にどっぷりはまり、そしてよそ者を温かく迎え入れてくれる懐の広さを持ったこの町に居心地の良さを感じ、いつの間にか地元のことは忘れて、10年以上も墨田区にのめり込んでしまいました。

すみだの仕事を12年運営したことにより、一定数の評価と成果を上げることができ、求人サイト運営の実績もノウハウもできました。本来の目的であった豊岡で求人サイトをはじめる準備には、十分すぎると言えるかもしれません。

でも、豊岡で同じことをやろうとは思いません。

「すみだの仕事」がうまくいったのは、たまたま始めた墨田区に需要があったから。担い手を求めるものづくりの町であったことや、新しい挑戦を受けて入れてくれる懐の広い町であったこと。住人の入れ替わりが多く新陳代謝があったことなど、需要と供給がうまくマッチした結果でした。

僕らは、墨田区でも豊岡市でも、自分が住む町を少しでも楽しいものにしたいと思って活動をしています。そこは都会でも田舎でも変わらないことです。

そのために必要なことや、僕らがやるべきことは、墨田区では「求人」という手法でした。でも豊岡では、求人ではなく「文化」を体感できる場が必要だと感じています。

次々に新しい物事が起こる都会と違い、変化のない地域だからこそ、新しいことに触れる機会を提供したり、地域の人同士が繋がれるきっかけを作ったり、外の人と触れ合うことができることで、文化やカルチャーをこの町に取り入れていく。

画一的な町ではなく、多くのことに寛容で新しい取り組みが生まれる町になって欲しいなと思います。

僕らは、伝所鳩をそんな文化を発信できる場所にするべく、次の10年をかけて育てていきたいと思っています。そして、「すみだの仕事」のように、また胸を張ってこの事業をやっていると言えるようなお店にしてみせます。

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