"追伸欄"が変わったら、仕事がしやすくなった話
2024-09-02 三條 凛花 │ "時間が貯まる"ノート本著者
それは、新入社員だったわたしに上司が話してくれたことだ。
「もし2人の能力が同じだったら、どうする?」
彼女は、三十代前半にして役職を持っていた女性で、わたしの憧れだった。
綺麗で品のある人だったけれど、憧れた理由はそれだけではなく、仕事はとても丁寧でスピーディー。
苦言を呈するときも、相手を嫌な気持ちにさせない……そんなところだった。
わたしは事務仕事はわりと得意だったものの、”仕事以外”の話をすることが極端に苦手だった。
話すのが下手だから、わたしの話を聞いてもつまらないだろうなと躊躇したり、相手に何をどこまで聞いてもいいのだろうと不安に思ってしまうのが原因だ。
その職場は”ノリ”のいい人が多くて、人見知りで堅物のわたしは浮いていた。だから、今考えると、上司なりにやんわりと注意してくれていたのだと思う。
追伸欄が変わったら、仕事がしやすくなった
フリーで仕事をするようになって、10年近くになる。
わたしは実用書の著者なのだけれど、手帳やカレンダーの監修、取材依頼やコラム執筆など、依頼をいただくお仕事は多岐にわたる。
ほとんどは単発のご依頼なので、数回のやりとりで終わってしまう。
そんな中、長年、継続的にさせてもらっているお仕事はコラムの定期連載だ。
いくつかの媒体で書かせてもらってきたけれど、連載の場合は基本的に決まった担当編集さんがついてくれて、同じ方と数年単位で個別にやりとりをしていく。
その中で、ある出来事をきっかけに、今までよりさらにお仕事がスムーズに進むようになった担当編集さんがいる。
それは、たしか、夏休みが近づいてきたころのことだった。
担当編集さんとの付き合いは、すでに数年になっていた。
普段からとても丁寧に接してくれる方で、ありがたく一緒にお仕事をさせていた。
そのとき、わたしは、こんなメールを書いた。
わたしは普段、ワンオペで育児と家事をしているので、夏休みは確実に納品できるように、前倒しで2ヶ月分を執筆させていただいていた。
そしてふと最後に、一文を付け加えた。
前のメールの追伸で、夏休みの帰省の話があったからだ。
少し勇気が必要だった。
プライベートなことを聞いてもいいのだろうか、と思ったからだ。一度消して、もう一度打ち直して、思い切って送信ボタンを押した。
返信を見て、わたしが叫んだ理由
返ってきたメールを見て、わたしは思わず「えー!!!」と叫んだ。
同郷だったからだ。
その後、納品や確認、新しい記事テーマの相談などのメールをしているとき、追伸を通してやりとりをした結果、驚くべきことがわかった。
担当編集さんとわたしは、同じ学校に通っていたのだ。
それからというもの、追伸欄に最近の”故郷”ネタが加わった。
なつかしい食べもののこと、帰省したときの街の変化、そろそろ雪が降るらしい、など。
わたしはふるさとから遠く離れた四国へと引っ越したばかりのころ。
知り合いもいないし、コロナ禍でママ友をつくる機会にも恵まれず、孤独に過ごしていた。
そんな中で、地元の話をできることがとてもうれしかった。
仲良くなったら、仕事がもっともっとスムーズになった。
心の距離がすこし縮まると、驚くほど仕事は進めやすくなった。
いろいろあるけれど、特に大きな変化は、わたしのレスポンスが速くなったことだ。
それまでのわたしは、とにかく「きちんとしたメールを!」と意気込んでいた。
それには理由がある。
以前、別な方とメールのやりとりをしていたときのことだ。
出先で急いでメールを送ったら「なにかご不快なことがありましたか……?」と聞かれたことがあった。
事務的な内容だけ送ったところ、怒っているように見えてしまったらしい。
ふだん、メールを打ったあとは、何度か見直しをして、言い回しをやわらかく調整している。それをしなかったせいだろう。
でも、少し仲良くなれたことで、出先で取り急ぎ返信するハードルが下がった。
事務的な内容でも、少し砕けた言い回しにしたり、「!」を使ったり、追伸の一部へのお返事を組み込むことで事務的な感じが与える「怖さ」が取れたように見える。
仲良くなったら、”失敗”と”感情”のバランスが変わる?
さらに、仲良くなると、”失敗”を許せる範囲も少し広がるのではと思っている。
正社員、パート、フリーとさまざまな働き方をしてきた中で、すごくわたしへの当たりが強く、しかも返信も毎回催促するまでもらえない方に出会ったことがある。
言い方があまりにも強いので、こちらも多少は厳しい口調にならざるを得なかった。
お互いに関係性がよくなかったと思う。
その方は、わたしの”失敗”にとても厳しかった。
ふだん、わたしが送ったメールへの返信は遅かったり、連絡しないともらえなかったりしたのだけれど、たった一度だけわたしがお返事を失念していたら、とても厳しく叱責された。
これが、もし関係性がよかったとしたら、一度の返信遅れにいくらなんでもあそこまで怒られることはなかったのでは、と考えている。
重要な件ではなかったし、そもそも向こうからのメールもいつも返ってこないのだから……。
人格否定のような言葉が続き、わたしはこの仕事を辞めるかどうか真剣に考えることになった。
結局、悩んでいるうちにその人が会社を辞めたので、わたしが辞めることはなく、気持ちよく仕事をできる環境に変わっていった。
その人と仕事をしなくてもいいとわかったとき、ほっとした。
それでも、これまでのお世話になったと感謝を伝えた。
そのメールにも、返信はなかったーー。
わたしが反省していること
一度「嫌だ」という気持ちを持ってしまうと、相手の嫌なところばかりが目についてしまう。
だから、小さなミスだったり、たった一度の失敗が、「とても重要な過失」のように見えてしまうのかもしれない。
それに、昨今はメールや電話だけでのやりとりも多く、相手が”同じ人間だ”ということも見えにくくなっている。
あの人からすると、わたしはパソコンの向こうの、”人工知能のような人間ではない存在”だったのかもしれない。
でもそれは、わたし自身にもいえることだ。”自分を攻撃してくるロボット”のように思っていなかっただろうか。
わたしが少し歩み寄っていたら、もうすこし良い関係性を築けたかもしれないと反省している。
この文章を書いてみて、少しはっとした。
いま、いろいろお仕事させてもらっている相手と、わたしは少し仲良くできているだろうか。
お仕事を妨げない程度になら、執筆に関係のない質問をしてみてもいいだろうか──。
たとえば、この間の台風のことだとか。そんな当たり障りのない話題を、少し探してみるのもいいかもしれない。