元営業のわたしが報道リポーターとして現場の声を伝え続けるわけ

2024-09-03 NHK広報局

NHKアナウンサーの畠山衣美です。

わたしの一日は、情報収集から始まります。
各局ニュースを大急ぎで見てから、リアルタイムの報道内容をチェック。
と同時に、SNSで社会の関心事を調べます。

7月12日、いつも通りテレビをつけると、衝撃的な映像が映し出されていました。

愛媛県の松山城の城山が崩れた…と。
中心部で?
もしかして、未明に線状降水帯が発生した?
住民のみなさんの安全は?

すぐに気象庁のサイトで雨雲の動きを確認するも、さほど強い雨雲が停滞したわけではなさそう。いずれにしても、きょうはこの土砂崩れの取材をすることになるだろうと、すぐに身支度を整えました。

朝、「ニュースウオッチ9」の取材体制を決めるデスクから連絡が入りました。
「土砂崩れのあった松山行きになる可能性があります。」


わたしの仕事は、「ニュースウオッチ9」の報道リポーター。
全国各地の事件・事故や災害などの現場に駆けつけ、現地の人たちの声を直接聞き、みなさんに届けています。今回はその裏側と現場に向き合う思いをお伝えします。


1分でも早く現場へ

デスクから連絡を受けたわたしは、先乗りするため、現地で撮影機材をのせられる車を手配しようと複数に連絡するも、翌日のイベントなどのため空きがないと断られてしまいました。
さらに空の便を調べると羽田―松山間は終日ほぼ満席。

交通の状況をデスクに伝えつつ、とにかく現地に向かうための準備を始めます。
▼カメラクルーとの連絡
▼羽田空港に向かうための車両の手配
▼雨靴とヘルメットの準備
そして、現場取材の相棒であるリュックを背負って羽田空港に向かいました。

どんな近場でも持ち歩いている“相棒のリュック”には……

スマートフォンやPC、筆記具だけではなく
▼1泊分の着替え
▼マウンテンパーカー
▼衛生用品(マスクや携帯用トイレ、予備のコンタクト、風邪薬、ばんそうこうなど)
▼エネルギー源になる|飴《あめ》やグミ
などを詰め込んでいます。
同僚からその重さに驚かれることもありますが、
体感的には4キロぐらいではないかと思っています。

午後、松山空港に到着。現場に向かいます。
その道中、市役所に電話し、住民のみなさんの避難情報を確認。そのうえで、避難所で取材をさせてほしいと相談し、了承を得ました。
また現場がどのような場所なのかもリサーチします。
ハザードマップや地質が記載された資料などを読み込みます。
移動中も大事な取材時間なのです。

現場近くに到着。
複数の道路にまたがるほどの広範囲で規制線が張られ、目視で土砂崩れの現場を確認することができませんでした。

現場近くに到着したときの様子

そこで、警察官や消防団の人々に状況を教えてもらい、いったん現場を離れることにしました。
避難所に向かい、特に不明者の方を待つご家族の思いなど、当事者の方から了承を得たうえでお話を伺いたいと思ったのです。

避難所では、土砂崩れの現場近くに住んでいる方たちから写真を見せていただきながら
▼土砂が崩れたときの状況
▼それまでの雨の降り方
▼土砂崩れの前兆の有無
▼今後も予想されていた雨への懸念
などを聞かせていただきました。

取材を終え、撮影した映像をNHKに送り、次は中継の準備に入ります。

中継こそチーム一丸となる

中継に向けて、高松経由で松山に向かっていた番組の別のクルーと合流。そして規制線から現場まで距離があるなか、どこから中継を出すべきか、何を伝えるべきか、クルーが一丸となって考えました。

わたしが原稿の素案を作る間に、他のクルーは何分くらいの中継にするか、内容の方向性はどうするかを確認。
撮影音声照明担当者は、夕方とは異なる21時以降の現場の暗さを想像しながら、かつ住宅街であることに配慮したうえで、クルーが取材や中継を行う場所が安全かどうかの確認も行いながら、それぞれの役割を全うしようと同時並行で準備を進めます。

本番前には、作成した中継コメントを読み上げながら伝える要素を再確認します。

こちらが実際に現場で中継したコメントです。

「松山市緑町の土砂崩れが起きた現場近くです。
けさ4時前に土砂崩れが発生してから、およそ17時間がたちましたが、この時間もこの道路だけではなく、複数の道路にまたがって緊急車両が止まっています。
そして、土砂崩れが起きた現場というのが、この道路の左側、複数のビルやマンションが建ち並んでいる、その奥です。
いまも明かりが照らされていて、警察と消防がおよそ170人態勢で捜索活動を続けています。
その活動では、重機を使って崩れ落ちてきた大木を撤去する作業が行われているほか、住宅があった現場の周辺では、作業員が手作業で泥をかき出しているということです。
近所に住む人たちに話を聞きますと、
『土砂崩れは本当に恐ろしかった』という声、そして『これからも雨が降る可能性があり、さらなる土砂が崩れ落ちるのではないか不安だ』という声が聞かれました。
そして、警察と消防は、このあとも安全を確保しながら活動を続けるということです。」

1分の中継に、土砂崩れから半日以上がたつなかで捜索活動が続く現場の最新状況と今後のさらなる災害への警戒を呼びかけようと意識しました。

故郷・熊本の地震がきっかけでアナウンサーへ

そもそもなぜ報道リポーターになったのか。
元々、わたしは美術館が好きで、「いつか美術展を企画したい」と、イベントの企画や運営などを担当できる放送マネジメント枠でNHKの採用試験を受け、内定をもらいました。

新潟局で開催したイベント 前列右が筆者

そんなわたしがアナウンサーになったきっかけは、2016年4月に起きた熊本地震です。
わたしの実家は、石垣が崩れるなど大きな被害を受けた熊本城から徒歩10分ほどのところにありました。

同僚たちが次々と熊本県に応援に行くのを見送りながら、ふるさとが被災したのに何もできない自分に悔しさや無力さを感じました。
テレビを見ると、キャスターは次々と情報を伝え、減災につながる呼びかけをしています。現地からはリポーターが必死に現状を伝えています。

なかでも印象に残り、アナウンサーになることをはっきりと心に決めた報道が2つありました。

まず、わたしと同様、熊本がふるさとで、当時ニュース7を担当していた武田真一アナウンサーが伝えた言葉です。
「不安だと思いますが、力を合わせてこの夜を乗り越えましょう」と熊本で被災した人たち、そして熊本がふるさとである全国すべての人に寄り添った呼びかけ…。
熊本を離れ、自分だけ怖い思いをせずにいてごめんなさいと思っていたわたしにとって、心の深いところに直接手を差し伸べてもらえたように感じ、テレビの前でいつの間にか涙を流していたことを覚えています。

もう一つが、救出現場を伝えるヘリリポートです。
家屋に取り残された女性が救助される様子をとらえていました。上空のカメラマンが撮影しながら、「助かってる・・・よかった!」と伝えていました。
熊本に住む家族と連絡がつかないなかで、テレビやSNSを通して悲惨なふるさとの様子を見ていたわたしは、そのリポートで少し心が救われた気持ちがしました。

取材者としてきれいに話そうとするだけではなく、その現場に居合わせたときに感じたことをそのまま心の奥底から湧き出てきた言葉で伝える…。
それを見て、「現場を自分で取材し、自らの声で伝える。その一端を担える人材になりたい」と強く感じました。

その思いを上司に打ち明けたところ、NHK内で他職種に移る機会があるということを聞きました。
入局3年目の年にたまたまアナウンサーの募集が出たため手を挙げ、災害報道への思いを訴えました。
当時、災害現場などで“自分の声と言葉でリポートをする“のはアナウンサーだけの仕事だと思っていました。
いまになってわかるのは、現場に出ればみんな同じ。カメラマン、記者、ディレクターそしてアナウンサー、みんなが報道の使命を全うするために懸命に取材し、自らリポートしています。

2020年1月1日 筆者撮影

被災者と向き合う時は、人生を背負う覚悟で

熊本放送局で勤務を始めたのは地震からおよそ2年後。
アナウンサーとして熊本地震について取材する日々。
これが、私の原点です。

「みなし仮設」に入居した人たちを支援するNPO団体を継続取材するなかで、表には見えない部分の被災の深刻さにショックを受けました。公的支援の対象には入れず、日々の暮らしに不安を抱え精神的・経済的・身体的に追い詰められている人たちが多くいました。
そういう人たちが支援を受けられるよう後押しできないか…と思い、日々取材し、伝えていました。

一連の熊本地震に関する取材について、当時の上司から「被災者に話を聞くときは、その人の人生を背負うくらいの責任と覚悟をもってやりなさい」と言われたことも心に残っています。
2024年1月に発生した能登半島地震で能登の人たちに取材させていただいたときも、その覚悟を持って現地に向かいました。

災害の報道では、特に2つを意識しています。
①現地の人たちが必要としている支援につなげること
②復旧・復興の過程でポジティブな面だけを伝えないようにすること

状況に不安を感じている方たちが置いていかれることがないよう、希望と同時に現実と|乖《かい》離しないよう厳しさも伝えることが必要だと思って取材しています。

心の自己管理を徹底する

事件・事故・災害の現場では、「命」と向き合うことが多く、心がつらくなることもあります。

大阪放送局時代、精神科のクリニックが放火され、27人が亡くなった事件の現場で翌朝の中継を担当しました。
一夜明けても、現場周辺には焦げた臭いが充満していました。
花をたむけている関係者の涙を見ると、さまざまな感情が伝わってくるようで、胸が苦しくなり、落ち込みました。
そういったことを感じながらも、いまは報道リポーターが現場を見て感じたうえで伝えなくてはいけないこと、伝えるべきことがあるという気持ちで、日々現場へ向かっています。

この仕事は毎日違うテーマを取材します。
正直、慣れることはありません。
殺人事件の現場取材をしたかと思うと、翌日は外国人観光客が過去最多となったことに関する取材、さらにその翌日は四国で起きた震度6弱の地震について取材…というように、変化が激しい。

なので、心身の管理を徹底するよう心がけています。
つらい時には番組の仲間や歴代の報道リポーターの先輩、上司に話を聞いてもらうこともあります。
逆に先輩方からも、放送や素材のVTRを見て声をかけてくれるなど、常にケアをしてもらっていると感じます。

伝え手の一人かつ取材者でもある報道リポーターとして、現場で見聞きした情報や声、感じたことを大切にし、丁寧に伝えていきたいと思います。
特に災害や事件事故の現場においては、同じことがくり返されないように、被害が拡大しないように“今後につなげる”取材を心がけていきたいです。

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