漬けもの界の風雲児。長くて深〜いキムチの話。

2024-09-06 岸田いずみ/とまりのつけもの

好きなつけものは何ですか?

と聞くと、みなさんはどんなお漬物を思い浮かべるでしょうか。

だいこん? きゅうり? それともトマトなんて人もいるのではないでしょうか。

でも、漬けもの市場で売れ続けている漬けものといえば、やはりキムチは外せません。

コリアンタウンには様々の種類のキムチが並んでいます

長い漬けものの歴史の中でも、キムチは若い商品です。いわば新参者。それなのに関わらず、今やスーパーの漬けものコーナーの一角はキムチ。ときに半分近くがキムチ一色のところもあります。

まさに漬けもの界の風雲児とも言えるキムチですが、あまりその正体は知られていない漬けものでもあります。今回はこのキムチについてお話ししていきたいと思います。

キムチの歴史

キムチは、世界でも珍しい野菜の発酵食品です。もともとは農作物がない越冬用の栄養を補給するための保存食であったところは、日本の漬物と似ていますね。

韓国の首都ソウルは日本の新潟と緯度がほぼ同じですし、特に冬季は日本の同緯度の地域と比べても非常に寒さが厳しいことで有名です。「キムチ」という語源については諸説ありますが、「沈菜(チムチェ)」という言葉が変化して「キムチ」になったという説が有力だとか。

「沈菜」とは、野菜の塩漬けにニンニクや生姜を入れて漬ける漬物だったようです。なので、私たちがキムチと聞いて思い浮かぶ、唐辛子粉で漬けてある真っ赤なキムチとこの頃の「キムチ」は見た目も異なるものだったようですね。

朝鮮半島に唐辛子が入る前は、素材の色や味を活かしたキムチが多くを占めていたようです

ところで、キムチの歴史は4000年ほど前からだと言われています。
現在のような唐辛子を使用したキムチになったのは、実は16世紀ごろ。たしかに韓流ドラマの『チャングムの誓い』などに出てくる数々の宮廷料理を見ても、本来の韓国料理は現代のように唐辛子をふんだんに使ったものではなかったですね(韓国ドラマ好きです)。

そして、16世紀に日本から唐辛子が伝わり、その後、本格的に食材として利用され始めた18世紀からだとか。そう、日本伝来だったのですね!

16世紀といえば約500年ほど前。1592年に豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に武器として持ち込んだと言われています(諸説あります)。武士の足が冷えないように唐辛子を靴の中に突っ込んで凍傷の予防として持ち込んだとか、目つぶしや毒薬として武器として持ち込んだとか。

私もキムチ=韓国というイメージがあったので、とうがらしが日本から伝わってキムチの形になったという史実にびっくりした記憶があります。

慶長の役・蔚山籠城図屏風(断片) – 福岡市立博物館所蔵(Wikipediaより)

しかし唐辛子が持ち込まれてからキムチに使われるまでには、約100年以上の時間を要したようです。19世紀にはキムジャンキムチ(冬場のキムチ)作りに適した結球白菜の栽培が普及して、現在の典型的な韓国キムチの姿を整えるようになりました。

唐辛子が塩の代わりとして用いられることにより、キムチの味の決め手となるキムチ調味料が変わる時代だったのですね!!


キムチは各地方の気候・文化、家風によって独自の味付けがあり、それは代々受け継がれたその家の「秘伝」となっていきます。日本のそれぞれの地域での特産のお漬物があったり、各家庭でぬか漬けや梅干しなどの手しごとに味があるのと同じですね。

キムチは、母から娘、姑から嫁へと伝えられていく「オモニの味」と言われていますし、やはり日本でも「おふくろの味」が伝えられています。

とうがらしがもたらした旨味がたっぷりのキムチ

日本のお漬物は、みそやしょうゆ、粕、塩漬けと色んな味でご当地の野菜や魚介を漬けることで「つけもの」として存在しますが、キムチは何を漬けても「キムチ」になるのがすごいところ。野菜でも魚でも、なんでもいいんです。「キムチ」の懐の深さを感じずにはいられません。

日本を席巻した「和風キムチ」

私が子どもの頃は、キムチは正直辛くて酸っぱいキムチでした。子供が食べるものではないイメージ。

その頃食べていたのは、いわゆる韓国キムチでした。本場韓国のキムチは発酵食品として、発酵を重視し、季節によって地下室やキムチ冷蔵庫で適切な温度管理をしながら長期間保存します。時間とともに味わいが深まり、酸味や旨味が増していき、発酵が進むにつれて、キムチには独特の風味が生まれ、これがいわゆる旨さなのですよね。

そんなキムチが劇的に変化したのはやはり、「和風キムチ」の存在なのでしょう。

酸味少なめ、甘みがあって日本人がお漬物感覚で食べやすいと感じるタイプのキムチ、つまり浅漬けのようなキムチです。こうした日本産のキムチは日本人が食べやすい浅漬け風(もしくは白菜キムチ)として劇的な発展を遂げました。

日本中で食べられるようになり、いまや子供でもどんどんキムチ食べますもんね。

日本の浅漬け風のキムチ、本場韓国の味のキムチ。そしてそこに漬けられる様々な原料によって、何百種類ものキムチが食卓に楽しみとして存在してくれるのです。

キムチを広げた立役者

さて、そんな色んなキムチの世界を世に広げたひとつのきっかけが、数年前に「TBSのバラエティ番組 キムチの世界」で紹介されたことをご存知でしょうか?

祖母の代から三代に渡り大阪でキムチ店を経営する黄(ファン)三兄弟。彼らから、日本が世界に誇る出汁文化と融合して進化した絶品「日本キムチ」が紹介されました。日本の中でも色んなキムチが作られてて、日本独自のキムチ文化が育まれてきていることなど、当時本当に面白く拝見しました。

そんな三兄弟の会社さんとお取引もあるご縁で、会社に訪問もさせてもらったのです。

三兄弟で、長男さんが社長(一番左)、二男さんが専務(中央)、三男さんが工場長(一番右)

直接お話を伺って、改めてキムチの世界の広さに感銘を受けました。

今や漬物業界を牽引する「キムチ」のこと、もっと知りたい方はぜひご覧ください!!

日本の食卓に、キムチを広げた立役者。高麗食品のキムチ三兄弟。 - らっきょう専門店とまりのつけもの “いつもの食卓 いつものつけもの”をコンセプトに、全国有数のらっきょう産地である鳥取県発のオンラインストア「らっきょう専門 tomarino.jp

それにしても、写真を見ているとキムチ食べたくなりますね。

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